わたしによるわたしのためだけのアートワークス

タイトルどおりですが。ほぼ絵日記。適当なこと書いておきます

タグキャンペーンに乗ってみたードラえもん

どうも。番外編第5弾です。

 

「わたしのおすすめマンガ2020」最後の投稿になりますね。まあ、そもそもレパートリーが少ないので、いつまでもやっていられませんが。

 

最後、なににしようかなあと考えていて、わたしの読んだマンガってなにがあるんだろうと思い返してみたら、なぜか『ドラえもん』が浮かびました。

マンガに関する記事、これから先そうそう書くことなんてないと思ったので、せっかくだから、と。

 

なので、前置きもなく、最後は『ドラえもん』。

 

※補足:書き終えてから

ちょっと哲学記事になっちゃいました。おすすめマンガ記事じゃないかも。

 

藤子・F・不二雄ドラえもん

藤子・F・不二雄『ドラえもん』 1巻表紙

出典:藤子・F・不二雄ドラえもん 1』

 

わたしにとって、『ドラえもん』はあくまでマンガなんです。

あの、藤子・F・不二雄さんが描くドラえもんなんです。

表情を変えずに、当たり前のように大切なことを教えてくれる、あのドラえもんなんです。

 

 

 ドラえもんを知らないひとって、この日本にどれくらいいるんでしょうか。

お年寄りは知らないのかな。

でも、『ONE PIECE』やマリオもそうですけど、庶民からエリート層から、カルチャーレベルは問いませんよね。性別も問わない。それはすごいことだと思います。

 

 とはいえ。

マンガの『ドラえもん』を読んだことのあるひとは、どれくらいいるのでしょうか。

 

マンガの『ドラえもん』が終了してからずいぶん経ちました。最近のこどもたちは、ドラえもんはアニメでしか見ないんじゃないかな。

こどもでも大人向けの作品に触れることができる時代ですから。そんな彼らにとっては、『ドラえもん』は子供っぽくて、退屈かも知れません。

ちょっと、さびしい。

 

いまの時代は大人の方が読むのかも知れませんね。嬉しいことに、『ドラえもん』は名言が有名になりましたので。

ちょっと疲れた大人が、ひと息つくために読むのかな。

でも、そんなことでも『ドラえもん』が生き続けてくれるのなら、嬉しい。

 

いまの時代は、どんな分野でも、作品が生み出されては一時で忘れ去られてしまう、創造性の飽和状態だと考えています。

まるで使い捨てのように。

経済が世界の血液と呼ばれるように、利益を生み出す作品が循環していないとこの世は成り立たないのでしょうね。

だから、利益が薄くなってきたら、その作品は放り出されてしまう。

 

でも、それじゃあ、生み出された作品がかわいそうじゃありませんか?

 

わたしは好きな作品には生涯にわたって触れていたいですし、彼らを忘れることはしたくないです。

確かに、ストーリーや登場人物や、断片的に忘れることはたくさんあります。それでも、その作品を好きであったこと、その作品が確かに存在していたことを忘れたくはありません。

なんというか、彼らも人間と同じで、必死になって生きていたんです。それに携わったひとびとも、その作品の中で生きている登場人物たちも。

そんな過去となってしまった彼らを思うと、忘れてしまうのは酷というものじゃないでしょうか。

 

わたしの中で、彼らは「いま」の作品であり、「いま」の人物たちです。

だって作品なんて、そもそも、別の時代であったり、別の時間軸であったりするのでしょう? だったら、いつであっても「いま」でいいのでは。

 

わたしの中にいる、大好きな彼らが過去のものとなってしまうのは耐えられません。

ですから、わたしはいつまでも彼らを描き続けると思います。

いつまで経っても、彼らはわたしと同じ「いま」を生き続けているのですから。

 

ですので、『ドラえもん』もそれと同じで。

わたしにとっては『ドラえもん』は永遠の作品でして。

なので、『ドラえもん』が過去のものとなってしまうのはつらいのです。あんなに人生の大切なことを教えてくれる作品は、最近はほとんどありません。『ONE PIECE』くらいです。

 

だから、『ドラえもん』にはまだ生き続けていてほしい。引導を渡してくれる作品がまだないのですから。

幸いなことに、いまはまだ『ドラえもん』は生きています。世の中のひとたちが、『ドラえもん』を終わらせまいとしてくれています。

 

ただ、不可能を承知で言うと、藤子・F・不二雄さんが描く『ドラえもん』をそのまま残してほしいのです。時代に流されず、あの人生のお説教役としてのドラえもんを。

 

でもまあ、時代に合わせたものが生き残るのが世の常ですから、それは致し方ないことなんですけど。

なので、せめて、いまのドラえもんのルーツとしてでも、藤子・F・不二雄さんの『ドラえもん』が残っていてくれれば、と思います。

 

過去の作品が蘇ることができるのが、いまの時代の利点でもあるのですから。

 

 

『ドラえもん』名言

出典:藤子・F・不二雄ドラえもん 1』

 

いまでも、この言葉がわたしを勇気づけてくれます。

 

わたし、昔から完璧主義で、人並みにできるだけじゃ「できる」とは思えない性格でした。いまでもそうです。

それなのに、能力は人並みなので、何度も壁にぶつかります。

そんな人間が、他のひとができていることができなかったときに、どれだけ落ち込むことか。

 

そんなときの支えがドラえもんのこの言葉なんです。

 ドラえもんが言ってくれることが、重要なんです。

 

最近は主人公が成長する作品が好まれます。でも、成長したひとが言っていたり、とっくにできているひとが言っていても、この言葉はあまり価値を持ちません。

のび太は(哲学的な面はあっても)作品を通して全く成長しませんし、ドラえもんもずっとネジが一本抜けているままです。

 

でも、それでも、できると言ってくれる。

わたしにはそれが勇気づけられるのです。

 

それに、彼らの話していることは竹馬の話ですので。世界を救うとか言っているわけではありません。

ですがそれも、それとなく心に刺さります。簡単なことができない自分に、言ってくれているようで。

 

 

わたしはきっと、一生『ドラえもん』を忘れることはないでしょうけれど、それだけでなく、『ドラえもん』がより多くのひとの心に残ることを願っています。

 

ドラえもん』のよさを知っているひとと知らないひととでは、確実に人生の価値観が異なりますので。

なので、『ドラえもん』はいつまで経っても、わたしの一番のおすすめマンガなんだと思います。

 

では。